能楽師・桑田貴志 深川能舞台WEBサイト

公演レポート

「道成寺」回顧録 3

鐘の下に入ったとき、瞬間的に思いました。「あ、少し後ろに入った」このままだと、背中に鐘があたると思ったので、拍子を踏みながら少し前進しました。
鐘が上から、スルスルと下りてきます。鐘のふちが眼の前にせまります。ちょうど、目線の高さに鐘のふちがあったのに、拍子を踏みながらふちが徐々に上がっていきます。「なるほど、拍子を踏みながら、腰がはいってきて、体が沈んでいるのかなあ」なんて分析していました。

鐘のふちから舞台から白洲へ降りる階段(きざはし)が見えました。どうも、左右はキチンと真ん中に入っているらしい。色んな事が、ハッキリと浮かんできます。それらはホンの一瞬の出来事のはずです。わずか数秒のうちに、よくまあこれだけのことが思い浮かんだものだと、我ながら感心いたします。でも、肝心の鐘入りの瞬間。すなわち飛び込むところは全く覚えていません。「え、今自分は鐘に入ったんだよね?どうやって?」と思いました。
実は、飛ぶ時にある秘策を考え付いていたのですが、その秘策を実行にうつしたかどうか、全く覚えていない。後で、とても綺麗なタイミングで入っていたと言われてホッとしました。

何年か前NHKが、道成寺の鐘入りの時の心拍数を測定する実験を行っていました。普段は脈拍八十前後のシテは、乱拍子から鐘入りまでは二百を超える数値で推移していたそうです。ちなみに後日、シテに全力疾走してもらって、その後脈拍を測ると、百六十だったそうです。乱拍子など、激しい動きなど何もしていないのに、全力疾走を超える心拍数であるというのは驚きでした。鐘入りの時の精神状態って、人智を超えていますね。

高速道路で大事故にあったという方の話を聞いたことあります。スピンする車の中で、周りの景色がスローモーションのように見え、家族の顔やら今までの出来事などが次々と思い浮かんできたそうです。その時の話を思い出しました。極限の時の精神状態って、案外そんなものなのかもしれません。
鐘に入り、改めて周りを見ます。鐘に入るのは当然初めてです。 まず思ったのが「く、暗い・・・」

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